聴覚障害×音楽 vol.3
音楽だけでない。他にも残される娯楽とは...
あなたが何気なく楽しんでいる娯楽——
それは、誰かにとって“参加できない世界”かもしれません。
🎵音楽ライブで盛り上がる観客の波。
📺テレビの前で家族と一緒に笑うお笑い番組。
🎤カラオケで友人と歌い合う夜。
どれも、私たちの生活に自然に溶け込んでいる「楽しい時間」です。
けれど、その楽しさが「音」によって成り立っていることに、どれだけの人が気づいているでしょうか。
私のようにきこえない・きこえにくい人にとって、音楽はただの振動かもしれない。お笑いは字幕があっても、笑いの「間」や「空気感」が伝わらない。みんなが笑っているのに、自分だけが笑えない、、、そんな経験は、静かに心を締めつけます。
娯楽は、誰かを楽しませるためにあるはずなのに・・・
それなのに、設計の前提が「聴こえること」である限り、誰かが残されてしまう。私は、そんな「残される娯楽」について考えたいと思います。そして、どうすれば「包み込む娯楽」に変えていけるのか、、、その可能性を探してみたいのです。
家族と一緒にお笑い番組を見ているとき、私の胸にチクリと刺さる瞬間があります。それは、字幕が出る前に、みんなが先に笑ってしまうとき。
「え? なんで今、笑ったの?」
そう思った時点で、もう笑うタイミングを逃してしまうのです。字幕は便利だけれど、ほんの数秒の遅れが大きな差になる。お笑いで大事な“間”や“抑揚”は文字では表せない。みんなが笑っている中で、自分だけが置いていかれる、、、その瞬間、私は「残される娯楽」を痛感します。でも、だからこそ気づいたんです。
「笑いって、人とつながる力がある」ということ。
同じタイミングで、同じことで笑えたら、そこに生まれる一体感は何よりも幸せな時間。それを味わいたいからこそ、私は残される寂しさを強く感じるのかもしれません。
最近、少しずつ変化も見えてきました。
手話でお笑いを届ける芸人さんが登場したり、手話を取り入れた舞台が増えたりしています。「よしもと手話ブ!」や「劇団アラマンダ」のような挑戦は、笑いの壁を少しずつ崩してくれている。その姿は、私に「未来は変わる!」という希望を与えてくれます。
もちろん、まだ道のりは長いです。
・タイミングのズレ
・声のニュアンスの壁
・字幕の質の差
課題は山積みだけど、だからこそ、ここに可能性がある!
ーもしも、字幕がもっとリアルタイムで正確に出るようになったら?
ーもしも、手話や表情を活かした表現がもっと広まったら?
ーもしも、笑いの場が「誰も残さない」空間になったら?
そのとき、笑いはきっと“壁”ではなく“架け橋”になる。私もあなたも、同じ瞬間に声を上げて笑える。それって最高じゃないですか?
未来は、きっと変えられる。
“残される笑い”ではなく、“つながる笑い”を。
そのために今、私たちが声を上げることが、明日の当たり前をつくっていくんだと信じています。
次回のテーマは、「店内に流れるBGMは、どんな風にきこえる?」
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