聴覚障害×音楽 vol.9
『聞こえない子どもだった私が、音楽授業から学んだインクルージョンの本質』(前半)
私は小学校・中学校を、難聴学級のある普通学校で過ごしました。
いわゆるインテグレーションの環境です。
聞こえる子どもたちの中に混ざって学ぶことが当たり前で、その中で自分なりに頑張ってきました。でも、特に音楽の授業だけは、ずっと苦手意識がありました。
当時はうまく言葉にできず、「聞こえないから仕方ない」と自分でも思い込んでいましたが、今振り返ると、理由はもっと深いところにあったのだと気づきます。
学校の音楽の授業は、歌ったり、聴き比べたり、曲の美しさを味わったりと、聴覚を前提にした活動が中心です。補聴器をつけていても、音楽は言葉よりずっと複雑で、歪んで聞こえたり雑音のように感じられたりします。先生が「この和音がきれい」と言っても、その良さをどう受け取ればいいのか分からず、ただ置いていかれる感覚だけが残りました。
合唱やリコーダーのように全員で同じことをする場面では、「自分だけできない」という気持ちが強くなり、授業そのものが苦痛になっていきました。
難聴学級があっても、音楽の授業は普通学級と同じ内容で進むことが多く、聞こえ方の違いに合わせた工夫が十分にあるとは言えませんでした。先生も、聴覚障害のある子どもへの指導法を学ぶ機会が少ないため、どう関わればいいのか分からないまま進んでしまっていたのだと思います。
でも、本来の音楽は聴覚だけで楽しむものではありません。振動でリズムを感じたり、身体で響きを味わったり、手話歌やダンスのように視覚的に楽しんだり、作曲やDTMのように聴覚に依存しない創作もあります。聴覚障害のある人の中にも、音楽を深く愛している人はたくさんいます。
だからこそ、私が苦手だったのは「音楽そのもの」ではなく、授業が“聞こえる子どもだけ”を前提に作られていたことだったのだと、今ならはっきり言えます。
ひとつだけ嬉しかったことがあります。
続きは次回の連載へ。
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